そのプライド、脆くないですか?

そのプライド、脆くないですか?

2018_10_11

プライドが高いよねっていうのは、悪い聞こえ方をしてしまうのですが

果たして本当にわるいことでしょうか?

わたしは自然に出てくる感情や心理は、

本来なにかの防衛反応だったり必要な機能なのでないかと思っています。

プライドに関しても、実は必要な心の機能。

それが、過剰反応しているとよくないことが起こるのではないかと考えています。

プライドとカタカナで書いてしまうと解りずらいですが、

自尊心と、日本語にすると

自分を尊ぶ心と書きます。

自分を誇りに思うこと、尊い存在だと認めること。

言葉に書くのは簡単ですが、

では実際に正しい自尊心を持てる人ってどれだけいるのでしょうか?

 

 

今自分を認めてあげられることを思い浮かべてみます。

○○ができる、だから自分に誇りを持てる。

周りより仕事をこなしてる、だから自分はよくやってる。

そうやって〜だから、と理由をつけて自尊心を保っていませんか?

成功体験をこれからの可能性を実現するための自信に変えるのは素敵なことですが、

自分の存在価値を測る基準にすり替えてしまっていたら危険です。

この記事を書きながらわたし自身に当てはまることなのですが・・・(笑

理由をつけなければ、認めてあげられない。

○○だから誇りに思う、○○な自分が好き、と

理由をつけて保たれているプライドは材質が脆いので、すぐ穴が空いてしまいます。

その理由を誰かに否定されそうになると、慌てて「言い訳」で補強しようとするのです。

安っぽい倒れそうな小屋を懸命に補強している様をみると、

周りは「プライドが高い人だな」と感じるのではないでしょうか。

プライドという名の脆い壁で高く覆って自分のこころの街が貧しいことを隠そうとする。

すると、よかれと思った他人のアドバイスもまっすぐ届かない。

暖かい日の光も遮られてじめじめしてくる。

くだらないプライドと呼ばれるのは、どんどんと視野を狭くしていき

心にノイズを増やしていきます。

本来は余計なことは取っ払って

自分の弱さや強みを含めて認めてあげられるのが一番です。

走るのが遅くたっていい

朝が苦手だっていい

覚えるのが遅くたっていい

周りのひとより劣っているところがあるのは

あぁ、周りよりできないんだな、と素直に認め

それでも自分らしく生きている今を大事にしてあげよう。

できないことはできるようになればいい。

間違ったらなおせばいい。

そのために、

“今”至らなかったことをごめんなさいと謝るのは、当然だ。

もともと尊い存在なのだから、必要なことは吸収して伸ばしたいところを伸ばしてみよう。

そういう心構えだと、豊かな心の街に整備された道が通っていて

他人からのアドバイスや指摘が贈り物のようにすんなり入ってくる。

自分も他人も幸せにする考え方なんじゃないかなと思いました。

わたしが出会った素敵な人たちは、そんな真の自尊心が高いように思います。

あなたにも○○だからという理由付き自尊心に心当たりがあったら、

くだらないプライドとして一度解体し、未来の自信を作る材料として必要な時に使ってみてもいいかもしれませんよ?

 

今日は自己分析で気づいたこころの話でした!

それではまた!