あ、先に言っておきますね。
これは美しい日本語を守りたい!とかそういうことを言いたい記事ではありません(笑
ふと、あるカタカナ用語がわからなくて基本ビジネス用語集とやらをチラ見しました。
そういう用語には疎い方なのでなるほどーと思って調べていましたが、
プライオリティ=優先度 という単語を見かけてちょっと待てよ、と。
例文で比較すると
A.この業務でのプライオリティが一番高いものはなんですか?
B.この業務での優先度が一番高いものはなんですか?
ってこれ B.優先度で、全然通じるよね・・・?
というか、私はBの方がしっくりきます。
実際誰かと話してて片方が使ったカタカナ用語に相手が「?」ってなっているのが見える会話とか耳にしませんか?
もしかすると、そういう単語をよく使う人からすれば
「AとBは一緒のようでちょっとニュアンスが違うんだよなー」
みたいな誤差があって意識的に使っているのかもしれません。
でもちょっと気をつけて欲しいんです。
言葉とはそこに込められた共通イメージがあって伝わるものですよね。
一語に蓄積された共通認識の量でいったら当然、新しいカタカナ語<従来の日本語
ですよね。
その利点を無視してまで使う場面でしょうか?
少なくともプライオリティと優先度の誤差は私には感じ取れないわけで
しかも、記憶から引っ張ってきて変換する時差が生じる・・・
英語で話しているならともかく、
日本語で話しているのですから、素直に日本語の道具箱から選んでいいんじゃないでしょうか?
と思ったのです。
というわけで「そういう単語君知ってる?意識低くない?」っというような相手を試す使い方はコミュケーションとしてはナンセンス過ぎますよね。
そういう使い方は意識高い系って悪い意味で使われて遠ざけられてしまう要因のひとつじゃないでしょうか。
とはいえ、クロスメディアとかロングテールとかボトムアップとか
新しい概念をイメージしやすくする語句はどんどん発生していいと思います。
そういうのは調べると「そういう考え方か!なるほど!」って出会いもありますよね。
これからは様々な業種の人が気軽に交流できる時代になったからこそ、当たり前に使っている単語に疑問をもつこともポイントになってくるかな?と感じました。
わたしもついつい新しい言葉を覚えるとドヤ顔で使いたくなっちゃいますけど(笑
誰かに何かを伝えるという目的を見失わず意識していこうと自戒をこめた記事でした!
もしこの記事に共感してくれる方がいらっしゃったら嬉しいです。
それではまたっ