練習に疲れたら、頭の中にある音を育てよう

練習に疲れたら、頭の中にある音を育てよう

最年少天才ピアニストがデビュー!と恐ろしいほど超絶技巧の曲をミスタッチもなく弾ききる子が出てきたとします。

そこで、若くもないピアニストの価値はどうなるの?という疑問が浮かんできたら、それは音楽の楽しみ方の視点が違うのかもしれません。

わたし自身ピアノ演奏をつまらなく感じていた時期がありましたが、聴き方を変えてみたら気づいたことがありました。

演奏者には誰しも個性ある「鳴らしたい音を持っている」こと。そしてその理想の音を磨くことと、感じ取れることが深い楽しみであるということ。

今日は悩みながら音楽を続けてきたわたしが、えらそうに「シンプルな音楽の楽しみ方」を語ってみます。

さて、鳴らしたい音についてですが、

極端に言えば、ただ一音ぽーんと弾くだけで、個性のある魅力的なその人の音を発っせる人がいるんですよね。

それに気づくには聴きての注意力も必要です。

色々な人の演奏を注意深く聴いていると、音の中に感情や風景や味や匂いがあるのを感じ取れてハッとさせられる瞬間がきます!

演奏者が発したイメージに自分が共鳴できた瞬間ですね。

あるいは言葉の訛りと同じように同じ曲目を聴いてるのに「この人の音は紅茶が飲みたくなる優雅さがあるな」とか「なーんかアジアっぽくてわくわくするな」と感じることもあったりします。

そんな無限の世界を広げてくれる演奏者のほとんどの頭の中には意識的でも無意識でも「理想の音」が鳴っていると思っています。

そして、その理想の音は経験で磨き上げられるものです。

だからテクニックを極めただけでは出せない音があるんです。

誤解を招く覚悟で書くなら、音楽性としてつまらないピアノ発表会ってありますよね。

少し辛辣に書きますが、例えば譜面をさらうことが精一杯で、一曲演奏するだけが目的の発表会。しかも大抵、上級生になるとこぞって超絶技巧を披露したがっているプログラム。

そういう発表会は生徒さん一人一人の音も「それなりの音」しか持っていないのか、第一音から同じような音で鳴らします。

たまにもともと才能として素晴らしい理想の音を持っている子供がいて、多少のミスももろともせず立派に演奏する姿に嬉しくなったりもします。

でも、その子供も他の演奏家の音に触れていくうちに、また別の「鳴らしたい音」が見つかると思っています。

以前ピアノの先生の会話の中で「練習をしてこないことを注意すると、親御さんがうちの子はプロになる気もないのでレッスン中が楽しければいい。放っておいてくれ」と言われてしまうという話がありました。

今のわたしなら先生に、それはすごくもったいないですね、と言いたい。

演奏することの楽しみには「好きな曲を弾いてみたくて弾けるようになる」という喜びと「弾けるようになった曲を自分の音で鳴らせる」喜び、の二段階があるんですよ。

当然ながらそれを経験させてあげるには、練習が必要です。頭と指が無意識レベルで連動しないと経験できません。

だから、ピアノコンクールともなってくると、

同じ迫力ある課題曲でも「龍でも出てきそうな雄々しい音」で弾く子もいれば、「嵐のような激しさの中に星のような美しさ」を混ぜる人もいます。(詩人かよというツッコミはしないで・・・)

作曲家としても、色々な曲を聴いて「頭の中の理想の音」のレベルを引き上げるという意識を持っていきたいな、と思いました。

だから、たくさんの音楽に触れることは大事なんでしょうね。

まとまりのない文章になってしまいましたが、

テクニックの追求に疲れてしまった音楽人の気づきになれば幸いです。

それではまた!